スペースシャトル計画とは

スペースシャトルは、NASAが開発した再使用型輸送機です。最大7人のクルーとペイロードを搭載したスペースシャトルは、米国フロリダ州NASAケネディ宇宙センターからロケットのように打ち上げられ、同センターに着陸します。

1981年4月12日、「コロンビア号」がスペースシャトルとして初めて飛行に成功しました(STS-1)。

スペースシャトルは当初、軍事衛星、商用静止通信衛星、NASAデータ中継衛星、ハッブル宇宙望遠鏡等の無人人工衛星の打ち上げが主流で、続いて、欧州が開発しNASAへ提供した宇宙実験室(スペースラブ)内での無重力環境を利用した宇宙実験、その中で1992年、毛利衛宇宙飛行士が搭乗した宇宙実験ミッション「第一次材料実験(ふわっと’92)」はスペースシャトル・エンデバー号でしたが、このフライトは1981年の初フライト以来、50回目の記念すべき飛行でした。

日本人宇宙飛行士も、毛利衛宇宙飛行士以降、向井千秋宇宙飛行士、若田光一宇宙飛行士、土井隆雄宇宙飛行士、野口総一宇宙飛行士、星出彰彦宇宙飛行士、山崎直子宇宙飛行士の計7人が、11回搭乗しました。2011年にはスペースシャトルが退役しますので、2010年に搭乗した山崎直子宇宙飛行士が日本人宇宙飛行して最後のシャトル搭乗者となります。

当初、スペースシャトルは機体を100回程度繰り返し利用することによって、打ち上げ費用を削減できることを目的としていたものの、1986年1月にチャレンジャー事故、2003年2月にコロンビア号事故で宇宙飛行士の命が失われ、事故原因究明や安全対策に時間がかかり、打ち上げコストの増大を始めとして、システム全体的の老朽化が進んできています。

主にISSの組立てや、物資補給ミッションに使われていますが、シャトルでしか対応できない大型のISS要素の打ち上げも終了したため、米国オバマ大統領は、2011年にスペースシャトルが引退することを決定しました。


http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/space_shuttle_program_2.html

スペースシャトル計画の歴史

30年にわたって続いたシャトル計画を通じ、米航空宇宙局(NASA)は宇宙空間での居住や作業についての研究で多くの成果を得た。

1972年1月5日 ニクソン大統領が、再利用可能な有翼宇宙輸送システムの開発費55億ドルを承認。宇宙船は7人乗りで、高度数百キロの軌道上に重さ5万ポンド(約2万2680キロ)の物資を輸送するよう設計された。

1976年9月17日 スペースシャトル試作機が発表され、米人気テレビ番組「スタートレック」にちなみ「エンタープライズ」と命名された。同機はエンジンと遮熱材が装備されていなかったため、大気圏内飛行のほか振動などの実験に使用された。

1981年4月12日 スペースシャトル計画最初のミッションとなる「コロンビア」が、フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた。米国にとって1975年以来初めてとなる有人宇宙飛行となり、アポロ計画にも参加したジョン・ヤング飛行士と若手のボブ・クリッペン飛行士が1号機に乗り込んだ。

1983年4月7日 シャトル計画で初の宇宙遊泳を2飛行士が実施。その後、通算161回の宇宙遊泳が行われた。

1992年9月12日 夫婦のジャン・デービス、マーク・リーの両飛行士がエンデバーに搭乗し、宇宙旅行を体験した初めてカップルに。また、同機には毛利衛飛行士も日本人として初めて乗り込んだ。

2003年2月1日 コロンビア号が大気圏再突入時に空中分解し、乗組員7人全員が死亡。同機は16日間の調査ミッションを終えて帰還する途中で、打ち上げ時に発生した破片で遮熱材が損傷したことが事故の原因となった。

2011年7月8日 30年の歴史を締めくくるアトランティスは、シャトル計画通算135回目のフライトとなる。12日間のミッションでは、ISSに1年分の食料や機器など補給物資を運ぶ予定。同機はケネディ宇宙センターで展示されることになっている。

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-22103420110708

スペースシャトル計画に関するエピソード

スペースシャトル「アトランティス(Atlantis)」の帰還をもって30年の歴史に幕を閉じた米スペースシャトル計画。この「史上最も複雑でコストの高い航空機」は、宇宙に前哨基地を築く支えとなった一方で、過去30年間の米国の宇宙計画を低軌道上に縛り付けるものでもあった。

米航空宇宙局(NASA)の50年の歴史の中で最長プロジェクトとなったスペースシャトル計画には、30年間で計2080億ドル(約16兆5000億円)が投入された(2010年米ドル換算)。1回のミッションの打ち上げとその準備に必要なコストは、2010年のNASA発表によると約7億7500万ドル(約610億円)。

スペースシャトル計画の正式名称は「宇宙輸送システム(Space Transportation System、STS)」。1972年、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領によって立ち上げられ、当初は訓練を積んだ宇宙飛行士だけでなく、民間人の宇宙飛行を目指していた。

それぞれのスペースシャトルの名称は、歴史上の有名な船にちなんでいる。宇宙に行くことはなかった試作機「エンタープライズ(Enterprise)」は、当初「コンスティテューション(憲法)」と名付けられる予定だった。しかし、テレビシリーズ『スター・トレック(Star Trek)』の大流行でファンが投書運動を行った結果、同番組に登場する宇宙探査船と同じ「エンタープライズ」と命名された。

https://www.afpbb.com/articles/-/2814781

スペースシャトルを名称から振り返る

かつて宇宙開発に大きく貢献した、スペースシャトル。5機が就航していました。そして、いずれの機にも宇宙への冒険にふさわしい特徴のある名前がつけられていました。

Columbia:Columbia のそもそもの意味はアメリカという国の別名、つまり雅号でした。15世紀にアメリカ大陸を発見したイタリア人探検家Christopher Columbus の名に由来するものであり、「コロンブスの国」ということを意味しているのです。

Challenger:Challenger は19世紀半ばに英国にて建造された帆船の名前でした。蒸気補助機関を持つ木造船であり軍艦及び海洋調査船として運航されました。

Discovery:Discovery (発見)という名前は、古くからさまざまな物につけられてきました。

Atlantis:Atlantisは古代ギリシャにおいて、大西洋上に存在したとされる大陸及びそこに繁栄していた国家あるいは大西洋そのものの名前です。

Endeavour:英国の探検家James Cook (キャプテン・クック)の指揮した軍艦の名前に由来します。endeavour とは、「努力する、全力を尽くす」、あるいは「何かを達成しようとする」という真面目な行動、「大胆さが必要とされる企画」といった意味をもちます。

Enterprise:この名前はもちろん『スタートレック』のキャプテン・カークの指揮する宇宙船『エンタープライズ』からのものです。当初は他の名前が付けられる予定でしたが、エンタープライズにしてほしいという声が多く寄せられ、当時のフォード大統領により命名されました。

https://www.english360.jp/15627/

スペースシャトルはNASAの失敗作?

スペースシャトルは、人類の歴史に大きな成果をいくつも残しました。ですが、135回目の打ち上げを完了して引退した現在の評価は真っ二つに割れています。スペースシャトルは失敗だったのでしょうか。

歴史に”もしも”はありませんが、2007年にはNASA長官のマイケル・D・グリフィンが、仮にスペースシャトルの開発をせずにアポロ計画からサターンロケットの改良が継続されていれば、同じ費用で年間6回の打ち上げが可能でそのうち2回は月にも行けただろうと言っています。

今になって歴史を振り返り総括をすれば、スペースシャトルは失敗作だったという見方もあるのかもしれません。しかし、これから始まる民間の宇宙開発時代に先立ってスペースシャトルは貴重な教訓をたくさん残しました。

https://www.weblog-i-found-this.com/entry/2017/11/19/200000

スペースシャトルの退役理由と後継機開発計画

スペースシャトル計画は30年以上の長きに渡るもの。基本的にはこれだけ長く続く計画だとコンセプトそのものが古くなったため、これ以上の経費はかけられないということで計画終了は仕方なのないことのようです。

しかし、スペースシャトル計画にはいくつかの問題もあったのも事実。

その証拠にスペースシャトルは100回は飛べるよう設計されていたのに、実際はその半分も消化しないまま退役しています。つまり、まだまだ宇宙に飛行出来る性能があるのに道半ばで終了してしまったことになります。

そのような事からスペースシャトル計画が終了してしまった理由として言われていあるのが、チャレンジャー号とコロンビア号の2回の事故の影響で浮き彫りになった安全性の問題点。

ただ、それ以上に退役する大きな原因となったのが莫大にかかる費用の問題。低コスト化を目指して運用されたハズだったのに、実際はかなりコストがかかってしまったという誤算。

要は、財政が厳しいアメリカにとって、これ以上お金のかかるスペースシャトル計画を続行することは困難だったということのようです。

惜しまれつつも引退となったスペースシャトルに代わり、アメリカは2つの方法で新たな宇宙開発を目指しています。

1つはNASAが中心となって開発を進めている次世代型宇宙ロケット・オリオン。これはスペースシャトル計画の技術を継承しつつも、従来型の円錐形ロケットに戻し、安全面やコストを重視しそこに最新技術を導入させて、月や火星への航行も可能にする宇宙船の開発をしています。

さらにもう1つは、これまでスペースシャトルが担ってきた地球低軌道周回ロケットは、民間会社が中心となり開発をしています。これもまた近い将来運用を開始する予定で、民間が運用する宇宙事業として商用目的の宇宙が開けて来そうです。

https://cosmolibrary.com/%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%96%8B%E7%99%BA/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%80%80%E5%BD%B9%E7%90%86%E7%94%B1/

引退したスペースシャトルの部品は、新しいプロジェクトで宇宙へと“復帰”する

スペースシャトルは数々の歴史を残しながら、2011年に最後の飛行を終えた。米国各地の博物館では、引退した3台のスペースシャトルが展示されている。しかし、実はスペースシャトルが完全に“死んだ”わけではない。その部品の多くが、実は開発が進行中のプロジェクトで再利用されているのだ。

例えば、スペースシャトルのエンジンを改造したものが、米航空宇宙局(NASA)が開発している大型打ち上げロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS)」に動力源として利用される。SLSは月への、そしていずれは火星への有人飛行ミッションに向けてNASAが開発を進めている大型打ち上げロケットだ。

米国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)が開発している無人スペースプレーン「Phantom Express(ファントム・エクスプレス)」も、スペースシャトルのエンジンを利用する予定だ。こちらは飛行機のように素早く宇宙に行けるよう設計されている。

宇宙産業には最先端というイメージがあるが、数十年にわたって使われていた機器を再利用したり、別の目的で使用したりすることは一般的だ。フライトの成功が証明されたハードウェアのほうが、新しくてリスクの高いものより好まれることが多いのである。

https://wired.jp/2019/06/12/nasas-space-shuttle-rises-from-the-dead-to-power-new-vehicles/

スペースシャトル有人飛行30年の歴史を写真で振り返る

1981年から2011年にかけて、135回にわたって打ち上げられた有人宇宙船、スペースシャトルは、30年におよぶ歴史の中で、国際宇宙ステーションの建設をはじめ、ハッブル宇宙望遠鏡の整備や探査機の放出、宇宙環境における科学実験など、様々なミッションをこなしました。

「SPACE SHUTTLE 美しき宇宙を旅するスペースシャトル写真集」では、スペースシャトル「コロンビア」、「チャレンジャー」、「ディスカバリー」、「アトランティス」、「エンデバー」、そして実験機「エンタープライズ」のミッション中に記録された、よりすぐりの瞬間を掲載しています。

https://genkosha.pictures/photo/19092728395